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慈雲尊者(部分) 長栄寺蔵

 

概   説 

密教観法(阿字観)は、インドに始まり中国を経て、弘法大師空海によって日本にもたらされた。簡便ながらも深秘であり即身成仏への経路である。そこで、真言宗僧侶の間で連綿と今日まで修されております。ここでは要略して、バランスのとれた心身をつくるための方法として紹介します。時間と場所とに制約されずに、とても簡単にでき、続けることにより身も心も軽くなり、心身共に健康になることを実感できます。お励みください。
尚、「密教観法(阿字観)」は「座禅」や「瞑想」と混同されがちであるが別である。

 

< 心 得 >

※ 服装は、身を締め付けない、ゆったりとした物を着用する。
※ 腕時計や装飾品などは、身に着けない。
※ 座すのが難しければ、小型(丸形)の座布団を用いる。
※ 場所は、明るすぎず暗くない落ち着ける処。明るすぎると心が散乱し、暗すぎると妄念が起こり眠くなる。
※ 椅子を使用する場合は、両足が床に垂直に着く高さにする。
※ 疲れたところで止める。中断ではなく次第は最後まで修する。
※ 修する場所の位置や、地図上の等距離圏を把握すると、観想に効果的である。

< 緒 言 >

◇本尊と自身との距離は、円の中心を胸の高さにして、半眼にした視線の先が円の中心を通る距離。
◇月輪の直径は一肘(拳を握り肘から拳まで)の長さ。形は、球形。

◇本尊と自心が一体になるとは、自心と本尊が融通無碍であること。
◇命そのものを呼吸する。新鮮な空気を吸って体内の汚れた空気を出すと、理解してはならない。吸う息も命、吐く息も命であるから、吸気が体内で濁気と化して出ることはない。
◇広観斂観は、心月輪のことであり、自身ではない。
◇阿字観を修する先に、なぜ月輪観を修するのか。
  秋の夜の満月は、清らかであり、涼やかであり、辺り一面を明るく照らす。この満月を観想することによって、人間誰しもが持つ、貪欲(飽くことのない欲望)の垢を離れて、瞋恚(欲望が阻害された時の怒りや憎しみ)の熱を冷まし、愚痴(真理を知らない言動)の闇を抜けて、自然に清浄な心を得る。
◇阿字観の観法は、宇宙自然の大生命と、小宇宙と言われる自身の生命とが、本来一つであることを、自覚する為にある。
◇それ故に、道場は、大地に直に座し、大地の息吹を感じることが出来る環境を最良とする。

< 実 修 手 引 き >

座法
 半跏座
 〇胡坐をかくようにしてから、右の足首を左の太腿の上に乗せて、左の足を右の太腿でおす。
 〇大きく前後左右に数回揺るがし、治まりのいい処で落ち着ける。
 〇肩の力を抜き背筋を伸ばして、耳と肩、鼻と臍を直くする。顎を引き丹田に力を入れ気味に座る。眼は半眼、目線は鼻先。
 法界定印
 〇左掌を仰向けて丹田の前に置き、親指を除く四指の上に右の四指を重ね、両親指の爪先を合わせる。 小判型

 調息 深呼吸
 〇先ず口より大きく吐き、鼻より大きく吸う。(吐き出して三秒ほど止め、腹一杯に吸って三秒ほど止める)  三遍

数息観
〇舌先を上歯茎につける。
〇鼻で呼吸する。息を出す際に数を数える。一から十に至り一に戻る。途中で忘れたら、一に戻り数える。(呼吸をしているのか、いないのか分からないような静かな呼吸)  数遍

月輪観
 先 面前の本尊を観想する。
 次 観想した本尊を自身の中に召入する。
 次 広観 本尊と一体となった自心を、次第に地球大まで広げていき、暫くして元の大きさまで戻す。
 次 斂観 一肘の心月輪を、徐々に胡麻粒程に狭める。暫くして元の状態に戻す。
 疲れたところで止める。
 観法が終わり、深呼吸三遍した後に、両手を開いて掌を内側に向けて、胸より少し高めに上げ、次第に降ろし膝より膝頭へ擦り下ろす。(頭や胸などを摩擦すると、観念するのみで、手は身体には直接触れない。両手を上げる際に息を吸い、下ろすときに吐き出す)  数回
 了ったら静かに座を立つ。 

阿息観
 「アーーー」と、自然に息が続く限り声を出す。地球を一周して、後頭部より入ってくる。と、観想する。

阿字観
 阿の観想は、月輪の中に「阿」が有るのではなく、月輪そのものが「阿」である。「いのち」の遍満。


「月輪観本尊」「阿字観本尊」は、円の中心が画面の中心になるように調整してから、実修して下さい。


阿 字(月 輪) 観 次 第     月 輪 観 本 尊     阿 字 観 本 尊