故   事 ・ 俗   信


与論島の先人達が、先祖に対してどのような心情で接していたか、また肉親をどのように弔い、そしてどのように死と向き合っていたかを知るために、死、霊、葬制、祭祀などに関わる俚諺と俗信と言葉とを纏めてみた。一見すると金石入り混じっていて、単に迷信とかたずけられるようなものもあるが、深く味わうと往時の人々の純朴な生き方や、目に見えない者に対する素直な畏怖の心情が垣間見える
与論島で使われている言葉には、標準語に置き換えたときに、十分に意味が通じずに理解できない事例が多々ある。特に「こころ」の分野に多く、標準語との差異を知るために、更には、生きた言葉を後世に残す意図から、初めに与論島の言葉をあげ、行を改め直訳し、更に行を改め解説するようにした。ご指摘、教授を乞いたい。なかには島外でも同じようなことが云われているものもある。

あ行


アトゥシーキラムヌカティ ナグリャーチャー イュールムヌヤアランヌ
跡継ぎのいない霊に 可哀そうにと いうものではない
無縁墓に気の毒だと気遣うものではない。同情すると憑かれてしまい、それ以降は自分で供養をしなければならなくなる。

アマクミンギヌ
間もない(短い)人
短い人生。「アマクミンギヌヤ カリヌヤドゥグクル グショウヌアマディラヤ ミナガアシャギ」ミチイキントウ(与論島の民謡)。人の一生は短く、仮の宿である。死後の世界は、皆が集まる処である。

アヌユーナイ シニグショーチャネンドーヤー フヌユーナイドゥ イキグショーチャアイル
あの世には 死に後生と云うものはないのだよ この世にこそ 生き後生と云うものはある。
死後の世界は、とてつもなく辛いところであるという観念から、の云いである。

アラヲゥガン
新拝み
埋葬時代には、死後数年を経て、掘り起こして、骨を洗ったり拭いたりして清めて甕に納めていた。初めてのヲゥガン。二度目からは「マタヲゥガン」と云う。三十三回忌を執り行う前にはマタヲゥガンをするのが慣わしであった。また、ヤブの宣託により、随時行われていた。
洗骨や改葬の際の行為であが、このヲゥガンこそ、先人方の先祖に向き合う、真摯であり敬虔な、それでいて親愛の心情を表す言葉は他にない。「先祖崇拝」の言葉の生まれる所以である。
火葬場の稼働により、埋葬の習いは絶えている。

イキグショウ
生後生
「イキグショウ エイ」と、云うように、この上なく辛い時に自分に向けて使う。生き地獄と似ているが、使われ方は異なる。。

イキチュリバヤ ミャーリュイ、シニバウヌダマリ、シニバ パカヨーグチハユティ ヌシュンガ
生きて居れば 見える 死んだらそれまで 死んで 墓入り口通うて 何をするんだ
生きていればこそ、ま見えることが出来る、死んでから墓に通っても 詮無いことだ。

イキパジドゥシニパジ
生き恥が死に恥
生きているうちの恥が、そのまま、死んだ後々までの恥となる。生前の言動が、そのまま、死んだ後々までも噂として残る。

イキパジヤ ウサーリュウシガ シニパジヤ ウサーランヌ
生き恥は 覆うことも出来るが 死に恥は 覆うことは出来ない。
生きているときには恥をかいても言い訳でもって、取り繕うことも出来るが、死に様の恥はどうすることも出来ない。

イシャヌノーサランヌ ヤンメーヤ ナナヤブカーティ ノーシュン
医者で治すことの出来ない 病は 七人のヤブを頼って 治す
医者のいなかった時代は、病気になるとヤブ(霊能者)を頼りにしてしていた。ヤブにもそれぞれ有って、悩み事を解決してくれたり、病気が治ったりすると、上ヤブと云われて崇められ、うまい事思うようにいかないと、トゥイヌクスヤブ(鳥の糞にも劣る)と云って、陰口を叩き侮辱しつも、いざとなると宣託を受けに通い渡り歩く。ヤブは、島民の日常生活にとっては重要で大切な存在であった。与論島に医者が初めて来島したのは、一八八五(明治十八)年の喜界島出身の向井清風師を待たなければならなかった。

イペーダキュルピチュヤ ウッスートゥンケーユルムヌヤアランヌ
位牌を持つ人は 後ろを振り返るものだはない
位牌には故人の霊が宿っているので、位牌を抱くと云う事は故人と一体になっていることを意味し、後ろを振り返ると、死者がこの世に未練心を抱いて、あの世に行けなくなる。と云う事である。

イヤープジヌバーヤ サヘーナイ ウシチナギュルムヌヤアランヌ
お盆には 境に 牛を繋ぐものではない
お盆には先祖が子孫の家々を廻り、供養を受けたり、子孫の働きの証である、所有地を見て歩いたりしているので、繋いでいる牛が、他人の地所に入って草を食べたりしていると、そこの先祖に杖で打たれるからである。

イヤープジヌバン モイシュルピチュヤ シーバチハンシュルムヌ
お盆に 亡くなる人は 擂り鉢を被せるものだ
盆になると先祖の霊は、子孫の家で饗されるので、墓は留守になり、戻ってきた時に、勝手に入り込んだとして、頭を叩かれるからである。
折に触れて耳にする言葉ではあるが、具体例には乏しい。事実、死亡間もない時には、ガン(棺)の中に納められているのだから、擂鉢の被せようがない。
ある種のユーモアと理解すべきか。

イャープジヌメーヤ イユードゥトゥイムチ
先祖の為には 魚がおもてなし
ご先祖への饗しには、魚を最上とする。アガリデラ時代の祭では、魚を捕る役目の人が当日に網を持って出かけ、鄭重に持ち帰って料理をして捧げたという。今日でも盆には、日頃漁をしない人でも海に出かけて行き、捕った魚介類をお供えするのが慣わしである。。

ウイトゥギ(ユウトゥギ)
起き伽(夜伽)
危篤になったときや、通夜には徹夜で見守る。通夜の伽は、古くには死体を野獣から守ったり、霊魂を悪霊から守護する為であった。現今では遺族を慰めることに重きが於かれている。今日では、遺族の事情によるが夜を通して起きることはまれである。

ウシナンヌリボウ グショウカティ イカランヌ
牛に乗ったら 後生にいけない
牛は農耕用として、とても大切に扱われていた。

ウシンチカリュウルイミヤ シンスカラヌ ムヌシラシ
牛に突かれる夢は 先祖からの お告げ

ウシン ミジガルイシミリボウ グショウカティ イカランヌ
牛の のどを嗄らすと 後生に 行けない
牛に水を与えることを忘れて、喉を嗄らすような事になったら、あの世にいけない。牛は大切にしないといけない。ウシナンヌリボウグショウカティイカランヌと同じ意味である。

ウティンヌ チムイナティデール
天の 思惑なんだろうさ
死は人間にはなす術がない、どうすることもできない。
また、予想だにしなかった事が起こった時などの、諦め。

ウプガミヌミジ
大きな瓶の水
末期の水のことである。お釈迦様がお亡くなりになる前に、水を欲したことにはじまる。ウプガミという言葉は、水の乏しかった時代に、たっぷりと水を上げたい心情の吐露である。

ウマリティナナケー シジナナケー
生れ七回 死んで七回
人はこの世で七回の祝い、あの世で七回の祀りがある。ウマリティナナケーとは、十三、二十五、三十七、四十九、六十一、七十三、八十五歳の七回のヨイ(年祝い)。八十五歳の次の九十七歳は元の戻り十三ヨイとして祝う。八十八歳の米寿のお祝いは別系統である。シジナナケーとは、三、七、十三、十七、二十三、二十七、三十三のトウトゥ(年回忌)である。与論島では、二十三、二十七、を省き二十五年忌を勤め、一周忌を加えて七としている。三十三回忌を勤め昇天されると、個人としての霊から個を脱し先祖霊となる。

ウムカギヌタティバ ウワサシチュラチウムイ プカクイミミュラバ シジャチウヌイ
面影があれば 噂していると思へ 深く夢を見たら 死んだと思へ
噂すれば影。は、日頃に使う言葉である。

ウヤイャプジヌ メーチキドゥイ
ご先祖の 仰せの通り通り
何ごとをするにも、ご先祖の仰せの通りに行動すると間違いはない。と云う、先祖崇拝の根底をなす言葉であり、先人たちは是を生活の信条として生きてきた。
ウヤカミ、エープジ、シンスは何れも、先祖を意味する。また、ウヤカミ、ウヤイャプジのウヤは、単独では「親」になるが、後に続く言葉があると「御」の意味合いが強くなる。

ウヤカミヤ クワァウマガンチャーヤ ヤマサンヌ
ご先祖は 子孫は 病まさんぬ
ご先祖は、子孫に祟って病気にさせたり、苦しめるようなことはしない。

ウヤカミヤ ハディチリ クムチリ
ご先祖は 風と一緒 雲と一緒
ご先祖は、風や雲と同じで、一所に留まることなく、子孫の住んでいる所には、遠近関わりなく何処へでも、行き来する。

ウヤカミヤミヌウイ
ご先祖は身の上
ご先祖は常に、我が身の上においでになる。わが身と共にある。我が心の中にある。

ウヤヌバチヤ タチバチ
親の罰は 直罰
先祖からの罰は、直ちに現れる。
誰にも言うことが出来ずにトゥクムッコウティ(ご先祖に向かって)、嫁が舅や姑、夫の等の悪口を言うものではない。すると、たちまちに、罰が下る。

ウヤネーナチカラドゥ ウヤヌフトゥヤムユル
親を亡くしてから 親のことを思う
親が亡くなってはじめて、親の事を考え、親の心を思い知る。

ウヤヲゥガディカラカミヲゥガミ
親を拝んでから神を拝め
親を大切にしてから、神仏を大事にせよ。親孝行の大切さを云うのであり、親が一番、その次に神仏と云う意味ではない。

ウーヤミンチュヌ パギピャーヌプクリヤ グショウガユイヌ イチャミ
重病人の 足の甲が腫れているのは 死後の世界との行き来 疲れ 
ぼつぼつ死期が近いことを意味する。

ウーヤミンチュヌ ヤーナンティ フミチチャイ クギウッチャイ シュルウトゥシリボウ ヤガティモイシュン
重病人の家で 米を搗いたり 釘を打ったりする音がしたら やがて亡くなる
精米機の無かった時代には、籾を搗いていたので、葬送に携る大勢の人々の食事に供するのに、沢山の米を用意する必要があった。釘を打つとは棺を拵えるこを意味する。重病人のいる家で、このような音が聞こえると弔いの準備に取り掛かっているということである。

ウーヤミンチュヌ ヤーヌマワイ ガラシヌアビテイマワタイ ヤーヌチヂナンティ ナキボウモイシュン
重病人の 家の周りを 烏が鳴いて廻ったり 屋根の頂きで 鳴いたら亡くなる。
与論島には烏は居ないと云うのが、通説であるが、この時期には居たことになる。また、数年前から幾羽かの烏が見受けられるようになった。長い時間の間に、何処からともなく現れて、暫く時がたつと、また、何処かへ飛んでいくことを繰り返しているのか。

ウーヤミンチュヌ ヲゥナグヌフラジナン サンヌワキボウ シニジカクナトウン
重病人の 女の人の髪に 虱がわくと 死が近くなっている
実情を表しているとともに、病人は清潔にしなさい、という意味も含まれているのではないか。

ウラウイ
お前の上
かつては夜鴨の鳴き声は、死を呼ぶものとして嫌われていた。渡りの季節になると、黄昏れ時に鳴きながら北に飛んで行くのがよく見られた。この時も不吉を祓う意味で、夜鴨に向かってウラウイと言い返していた。悪態をつかれた時に、相手に返す言葉にもなっている。

ウヮームヌンチャ マタヌシチャカラ プキラシボウ ウヌピチュヤシニュン
豚の幽霊を 股の下から 潜らすと その人は死ぬ
豚の幽霊が、股の下を潜って行くとその人は死ぬので、ウヮームヌが出る場所を夜に通る時には、棒を持ち歩き、ムヌが出たら両の足を合せて、棒を斜めに差して棒との間を潜らせると死を免れる。と云われている。

ウンナンモイシャルピチュヤ リュウグウナンドゥイェール
海で亡くなった人は、竜宮におられる。
海難事故で亡くなった人の、三十三回忌には、バシャグキブニを作ってお供えを乗せ海に流した。

エーバンシュルバーヤ パチトゥティ ジーナイウチキュウルムヌ
屋外で食事をする時には 先に食べ物を少し箸で挟み取って 地面に置くものだ
食べる前に、先に地神(その土地の神様)に供えているのである。


か行

カミヌパラジチャネェ
神の親戚はいない
神には親戚というものはないから、依怙贔屓はしないし融通も効かないので、特別扱いはしてくれない。カミポウを知り尽くしている人はいない。先祖は祀るべき子孫が祀らなければならない。等々幾つか異なる解釈が出来る。

カミヌミチヤ ギリマクラ
神の道は 義理を通す
身勝手な、筋のとおらない神頼みは叶えてもらえない。

グクヌミジ
お供えの水
お供えした水は、下げた後に有難く飲んでいた。

グショージプダタティティ ムディティクンシャクトゥ グショウヌアミダオウヤ ユルシナラジ<与論民謡:ミチイキントウ>
後生に行って札立てて 戻って来ようとしたら 阿弥陀王は 許してくれない
あの世に行ったら二度と此の世には戻れない。と云う事を、深刻さを与えずにやんわりと歌にしている。

グショウヌジョウヤイチジョウ アミダジョウヤナナジョウ ウリアイティイリバ ウヤヌイメイ<与論民謡:ミチイキントウ>
後生の門は一つ 阿弥陀門は七つ それを開けてみると 親がおいでになった
此の世からあの世に行く門は一つ。阿弥陀様の居られる所までには七回門を通らなければならない。この、七回とは、初七日を始めとして七日毎に勤める四十九日まの祀りを云う。今日、十日、三十日の祀りは、昭和の中頃までは、四十九日まで、七日毎七回勤められていた。
モイシャルピチュヤ、四十九日ンタナヤ、ミッタンアワリシュンと言われている。
葬送に際し七回着替えさせるのは、阿弥陀様の世界に行く為に、門を一つずつ通る度毎に、きれいに身支度し直して行ってもらおうという心情からである。最後の七枚目に、一番奇麗な着物を取って置いて着けさせているのも、阿弥陀様の世界に居るからである。

グショウヌミチタティバ ミュウルピチゥヤマンディ マクトゥグショーイキバ ワヌチュイバカイ<与論民謡:ミチイキントウ>
後生の道に立っていると 見る人はいっぱいだ 本当の後生のに行くと 私一人だけ
三途の川を渡るときには大勢の人がいたのに、定まってから落ち着いて周りを見渡すと、我一人だけになっている。

グショウヌピチュトゥヤ ナーミチミチデール
後生の人とは 別々のだ
死後の世界と現世とでは、それぞれに異なった生活がある。ハッキリとした区別がある。

グショウヌピチュヤ ミジヌパチトゥ パナミユダドゥ プシャル
あの世の人は、水と花三枝だけがほしいのだ。
贅を尽くした見栄を張った供養よりも、真心のある質素な供養のほうがよい。供養をするという真心で充分だ。グショウニエールウヤヌヌガヨプシャムヌヤミジヌパチトゥパナヌミユダ<与論民謡:ミチイキントウ>
ここに云う「パナ」とは、トウトゥバナと呼んでいるハイビスカスのことをいう。

クチヌタタイ
口の祟り
神仏の前では、口を慎まなければならない。
トウトゥは無駄口をせずに謹んで勤めなければならない。余計なことを口から出しては、禍を被る。


さ行

サンカヌシニャナチタバーリ
サンカの所為にして下さい
正確には不明である。しかし、ミジヌパチを忘れたとか、先祖への非礼を詫びる時に、屡々使う言葉である。思うに、サンカは今日では、差別用語として用いられている人々を指す言葉であるからして、非礼の原因は、私の所業ではなく、その方々に起因するものです。と、自分の不始末を他人に転化している。と、解釈することができるのではないか。

サンカパダ アーチ
穢れた体を離して
アラヲゥガンのときに、故人に向かって、朽ち果て穢れた身を、綺麗にして差し上げます、と語りかけるときに用いる。タマ(玉=霊)ナチエーシュクトゥ(奇麗にして上げます)とも云う。

シジャルピチュトゥ ムヌコレルイミヤ ヤンメーチキュン
死んだ人と 物を食べる夢は 病が付く
死人と食事を共にする夢は病気にかかる。

シジュルピチュ アミシュルバンヌ  ミジカイユウシャー  パーティ
死んだ人を 浴せるとき 水をかけるのは 逆手
死人の湯潅の水は逆手でかける。
人に物を渡す時に、逆手で渡すと常識に欠けていると云って、非常に嫌がられる。

シジャルピチュトゥ ユヌトゥシヌ ウンキヤーサルピチュヤ パカカティマージンイカンボウマシ
死んだ人と 同じ年の 運気の弱い人は 墓には一緒に行かない方がよい
死者と同じ年の生まれで、運気の弱い人は、野辺送りには同行しない方がよい。パカという語が使われており、明治以降に、云われるようになったのであろう。

シジュルピチュヌパタカラヤ ミャンカウイパレー
死んだ人の傍からは 猫を追い払え
死体の側には猫を近付けるな。猫は死体の尊厳を傷つける場合がある。昔い時代の夜伽は、この意味をも含んでいた。

シニボウ タルン シナドゥハブイル
死んだら 誰でも、砂を被る
死ぬと、皆平等に、埋葬され砂を掛けられる。明治期以降の埋葬するようになってからの言葉。

シニボー チュトゥルカティ イキュン
死んだら 一緒の処に 行く
死んだら皆同じ処に行く(アマクミンギヌの項を参照)

シニヤドゥヤ ファシュルトゥン クヮーナシヤドゥヤ ファースンナ
死んだ宿は 貸しても お産する宿は 貸すな
シニヤドゥヤの意味が不明である。お産をするときに、別に小屋を建てていた時代には、小屋の後片付けに大変難儀したので、この言葉が出たのであろう。ここは、お産をする為の宿は貸すな。と云うのが趣意である。「捨て字」があるように、お産をする為の宿は貸すな。を強調する為の、「捨て言葉」として、「シニヤドゥ」を捉えるのが妥当か。

シニュグマチー ショウガチニゲー パチガチニゲーヤ キローンダラボウ タタイヌイジュン
シニュグ祭 正月願 八月願は 禁忌を守らなければ 祟りがでる
当初の一月から三週間、十日、一週間、三日、と次第に短縮されている。期間や参加する方にも課すのかと云う事は執り行う側の意向による。


た行

ダイクイウチボウ ウヤヌモイシュン
竹杭を打つと 親が亡くなる
杭打が子供の遊びであった当時、杭は木で作ったものである。
埋葬のとき棺の上に、霊魂の出入り口として、竹を割ってから立てるので、竹を立てる事を忌み嫌った。ご飯の上に箸を建てたり、逆手で物を手渡したりするのを嫌うのと同義。

タッケーアイルフトゥヤ ミッケータレーユン
二度あることは 三度目もある。
年内に二度葬儀を出さざるをえないときは、箱を作って鶏を入れ、墓地の隅に埋め、三度目とした。昨今は人形を棺の中に入れる。

チカネームヌヤ ミンギヌヌハキ
家畜は 人間の垣
祟りは、初めは家畜に罹り、それでも懲りない時に、人間に祟ると考えられていた。

チジティバチハブリ
いらんことをして罪を被れ
直訳すると上記になるが、よけいな事をしよって!罰でも当たってしまえ!と云う事である。無縁仏を哀れんだりしたら、生涯自分で祀らねばない事になる。とか、この神はいいあの神は良さそうだと言われて、見境なく神仏に関わるな。という意図である。さわらぬ神に祟りなしと云われるように、先祖を大事にして、先祖を崇拝、礼拝したらそれで十分だ。と云う、「先祖崇拝」の考えからきている。

トゥイムチ シラリブシャル ピチュエータイ ヤー
丁重な弔を されるに値する 人だったんだなー
平時に(真夏や真冬、台風や大雨、農繁期等を避けて)亡くなる人に対しての褒め言葉、特に手伝いの人々の間で云われる。

ドゥク シンジンシリボウ シーバイシードゥクルン ネン
あまりにも 信心すると 小便する処も なくなる
直訳すると上記である。信仰に凝り固まってしまうと、この方角には何の神がいる、この方角には何の神がいるとなって、ぐるり身の回りで、不浄とされる小便をする処はなくなってしまう。度を越して、信仰に凝り固まると、身動きがとれなくなる。

トゥジヌパラドゥシャー モイシャルピチュヤ ハタミラランヌ
妻が身重なら 亡くなった人は 担げない
身重の妻のいる人は、棺は担げない。生まれてくる子に差しさわりがあるといけないから。

トゥスイヤウヌヤーヌ マムイガミトゥユルムヌデール
年よりはその家の 守護神と同じである 


な行

ナキメービシリボウ ウヤヌモイシュン
泣きまねをすると 親が亡くなる
子供が泣きまねをするときの戒め。

ナービヌカミヤ ミッタン アワリシュン(ナービヌカミネーシ アワリシュルムナーネン)
ナービヌカミは、非常に辛い思いをする。(ナービヌカミほど、辛い思いをするものはいない)
ナービヌカミとは、三十三回忌の期日を迎えているのに、いつまでも供養してもらえず昇天できずにいる霊のこと。
三十三回忌を執り行うには、諸般の事情で正当日に勤めることが難しかった。そこで親戚は「三十三回忌は延ばすほどよい」と云って慰めた。それを、真に受けたり、逆手に取ったりして、言葉の真意を理解できない人や、怠惰な人への、戒めの言葉である。諸般事情とは、大勢の人を招くための、経済的な理由、キレーの有無、当主の健康状況、等々である。
また、ご飯を用意しているのに、なかなか食べに来ない時などに、ナービヌカミヌ、アギティドゥアイル(ナービヌ神が召し上がったのではないか)とか言って呼ぶのに使う事もある。

ナビヌシキヌ プギュールイミヤ ドゥーナーカラ モイシュン
鍋の底に 穴のあく夢は 自分たちから 亡くなる
鍋の底に穴の開く夢を見ると、身内から死人が出る。

ナーミチミチデール
それぞれの道だよ
この世とあの世では住む世界が異なる。
ナーミチミチデークトゥ ドゥウシ アイチ ウヮーリョー(それぞれに道は異なるので、自分で歩いて行ってくださいね)と云うように、出棺の時の死者との別れに使う。

ニゴー
輪結び
魔除けである。夜間に食べ物(ご馳走)を持ち歩くときに、藁などで、輪を作り根元を食べ物に軽く刺した。ムヌ(魔)に食べられないためにする。


は行

パカカティ ウイビネェーユルムヌヤ アランヌ
墓に指を差すものではない
不用意にしたときには、「クッテー、クッテー」と言って指を噛んだり、または「トゥペー、トゥペー」と言って、その指に唾を吐きかける。この行為は清めることを意味する。

パカカラ、ムドゥユルバンヤ ウッスーヤトゥンケーラヌムヌ
墓から戻るときには 後ろを振り向くものではない
未練を残すからである。上述のイペーダキュルピチュヤ、ウッスートゥンケーユルムヌヤ、アランヌと云うのは、霊魂が家(この世)に未練を残すからであり、この項は、自身に向けてのことである。ナーミチミチデールを参照。

パカナン パマガンヌヤープガチュンボウ ウヌパカカティ ピチュプシャシチュン
墓に 蟹が家を造る穴を掘っていたらっていたら その墓地は 人を欲している
墓地の多くは海岸縁にある。埋葬になってからのことである。パマガンは海辺に居る白い色をしている。陸地に居るのは茶色。蟹

パカメーヤ タッケーシュルムヌヤアランヌ
墓参りは 二度するものではない。
一日に二度墓参りをしてはいけない。先に掲載した「墓から戻るときには、後ろを振り向くものではない。」と同じように、これは、亡き人に未練を残して一日に何度も墓に出入りさせないように、という気配りからである。

パナチチェボウ ヌチヌインチャサン(パナチチェーボー ヌチベーサン)
花に身直に接していると 命が短い
美しい花には、霊が集うものと考えられていた。そこで、花は身直に接するものではないとして、かつては、生垣に花の咲く木を植える事を好まなかった。また、子供達に花を手折ってやるときには、邪気を除うためにプゥッと息を吹き掛けてから、渡していた。
上記にあった、他家より晩にご馳走等を持ち帰る時には、藁で輪を作り、プゥッと息を吹き掛けてから食物に立てた。ちなみに、息を吹き掛ける、または、唾をかけるなどは、魔除けのための所作である。

ハニヤ グショウカティヤ ムチイカランヌ
金は あの世には 持って行けない
人類共通の認識である。

パーヌカイユルイミヤ ドゥーナーカラ モイシュルピチュヌイジュン
歯の欠ける夢は 身内から 亡くなる人が出る

ハンシャガユイ
ハンシャ参り
ガユイ(カユイ、前に名詞がつくと濁りガとなる。通う)とは、幾度も参ること。ハンシャは風葬時代の墓地。「パカガユイ」とも云う。埋葬時代には死後一週間は毎日早朝仕事の前に墓参りをした。

ハンシャガユイ シュルムナー アランヌ
ハンシャに 通うものではない
上記とは矛盾するようだが、必要以上に、墓地に出入りするものではない。と云う意味である。

ピャークミャーヌシケー
百をみない世間。
人は、百年は生きることは出来ない。昨今では百歳を超えている方々も珍しくない社会であるが、往時は、百歳に現実味はなかった。

ピグル

煮炊きに竈を使用していた当時、鍋の火のあたる箇所にピグル(炭)が付着し段々と分厚くなっていく。そうなると、火の通りが悪くなり高温になるまで時間が掛かるので、硬いヘラで落としていた。子供が夜暗く外出する時には、鍋底に付着しているピグルを指で軽くこすって、子供の額に付けた。台所の火の神のお守りとしての、魔除けである。

ピジヌ ドゥクコークナリボウ ドゥーナーカラ ヤンシン
臂が あまりにも痒くなると 身内から 病死
肘が、痒くなりすぎると、身内から病死者が出る。ヤン(病む)シン(死ぬ)、病んで死ぬ

ピジャイウショウシ シリボウナランヌ
左前合わせを したらいけない
サーシマグトゥ(逆さ事)といって死人に着物を着せる時に左前合わせをするので、日頃に左前合わせで着物を着ると忌み嫌う。

ピジャイジナ
左綱
カミグトゥ(神事)や仏事では、払いや清めの意味に使う場合に使う縄は左編みにする。左に回すのは清め、右回しは豊穣。

ピチュウイミチカラ ピチュウーユルウ トゥヌキカリリボウ ヤガティウヌミチカラ ピチュウーユン
人を送る道から 人を送る 音が聞こえると やがてその道から 人を送る
野辺送りの道から、野辺送りをする音が聞こえると、やがてその道は野辺送りとなる。野辺送りの道は、おおよそ決まっている。

ピチュウイミチカラ ヤミンチュヌアイチュルシガタヌミャリュンボウ イッシュウカンナンティモイシュン
人を送る道から 病人の歩いている姿が見えると 一週間で亡くなる
野辺送りの道から、病人の歩いている姿を見かけたら、一週間で亡くなる。

ピチュウーユーシヤ シューヌピキュルバンドゥユタシャル
人を送るのは 潮が引くときがよい
野辺送りは、潮の引くときの時分がよい。人が亡くなるのは引き潮、生まれるのは満ち潮、と、云われる。

ピチュダマヌトゥビボウ ヤガティピチュヌモイシュン
ひとだまが飛ぶと やがて人が亡くなる
人が亡くなる時には、青白い光(人魂)が肉体を離れ出ると云う。ピダマは、火の玉で赤い光の玉で、家の周りを回ると、その家は火事になると云われている。

ピランチカマクラ
ピラ(芋を掘る道具)枕
農作業など仕事中に亡くなることを、理想的な死に方とされる。

プットゥイヌワリタイ ハタンチャイシュウサ ウヤカミヌシラシ
石碑が割れたり 傾いたりするのは 先祖からのおつげ
今日でも、全国的に、霊能者と言われている人や、関連事業者の間では、耳にする。。

フヌシケートゥ グショートゥ イキハユイヌナリバ グショーニイェールウヤヌ ミャーリューラエシガ
この世間と 後生と、行き来が叶うならば 後生においでの親が 見えるのだが

フマヌパカヤ ピューソウチャー イゥシャーアランヌ
ここの墓地は 広いと 言うものではない

ヘーウジミュルバン ハガウジマシボウナランヌ
棺を埋めるときは 影を埋めさせてはならない。
棺を埋める穴に、自分の影がさすように立って居てはならない。自分を埋めることになる。

ヘーヌイジリボウ シジャルピチュヌニンドゥルヤ パーカティポーキュルムヌ
棺が出たら 死者の寝床は 外に向けて掃き出すものだ

ヘーヌプタハンティカラドゥ ピチュヌフターワカユル
棺のふたを閉めてから 人のことはわかる
死んでからでないと、その人の事はわからない。死んで初めてその人の、生前の行動が明らかになる。

ヘーフシャティティン ウヤヌアイブシャ
棺に寄りかかっていても 親はいてほしい。
死んでいく親であっても、もっともっと長生きしてほしいと思うものだ。文字通り親は有り難いものだ。
棺のふたを閉めているのに、しがみついて何時までも離れないでいる肉親に、「また会えるんだから!」と声を荒げて諭す、年長の方もいる。
亡くなったら二度と会えないと嘆き悲しむ肉親の心情を察し、与論島では、「亡くなっても、もう一度親に逢える」と云う。「アラヲゥガン」のことである。


ま行

マイナイ パシタテゥルムヌヤ アランヌ
ご飯に 箸を立てるもの ではない
枕飾り(死人の枕元の設え)のご飯に箸を立てるからである。

マッタブヤ グショウヌ ヨーグチヌバン
蛇は 後生の 入り口の番。
蛇は、あの世の入り口の番人だから、むやみに殺すものではないと云われている。

マブイヌ ヤブリトゥル キパダヤ キュサアランヌ
マブイの 綻びた 着物を 着てはいけない
マブイとは、着物の襟首から背縫い一寸ほど下がった処を云う。霊魂はそこを出入り口として、外界との行き来をすると信じられており、亡くなると其処から出ていくで、、死に装束ではその辺りの糸を解く。
幼児の着物は、ここに米粒三粒と白髪一本を、赤い布切れに包んで縫い付ける。略する場合には、赤い糸で菱形に縫って対角線を結び十字をなす。七歳ぐらいまではお守りとして着けてあげる。

マブイユシ
霊寄せ
人は死んだら、息を引き取ったところに、霊魂は留まるものだと信じられているので、事故などで亡くなった時には、葬儀の前に、その場所から葬儀をする場所に、霊魂を移してから執り行う。病院で亡くなった場合にも、同様である。事故のあった処に、献花や供物を供えることを嫌う。
また、子供が、異常に驚いた時等にも、霊魂は遊離するといはれ、マブイユシをする。

ミジヌパチヤ シカマシイティ ピューマンタナヤ サギリ
ミジヌパチは 朝上げてから 昼までには 下げなさい
「ミジヌパチ」とは、命日のお供え物の総称である。仏教の「過昼不食」と云いうところからきている。お釈迦さまの修行時代には正午以降は食物は口にしなかった。これに倣っての言い伝えである。現在でもタイやミャンマーやスリランカ等の上座部の僧侶は、飲み物を除いて厳格に守っておられる。

ミシマクラヤ シュルムヌヤ アランヌ
北枕は するものでは ない。
死人を寝かす時に北枕にするからである。北枕にする謂れは、お釈迦さまが涅槃に入られたとき(入滅と云い、お亡くなりになること)に、北頭西面と云って、頭を北にして顔を西に向けて、横になられてた。お釈迦さまに倣うということからである。この北頭西面は、科学的には地球の自転を考慮すると、北半球では、最良の寝方と云われている。

ミャンカヤ トゥシトゥリボウ グショウハュン
猫は 年とったら あの世に通う

ミャンカン カマリュウル(クァーリュール)イミヤ タタイグトゥ
猫に 噛まれる夢は 祟り事

ミャンカヌ ヤーイジティティカラ アムクシチティカラ ムディティキュールバンヤ プクルナイコレムヌイリティ クビナイクンチキティ ウイジャシュウルムヌ
猫 が家を出てから 暫くしてから 帰って来たときには 袋に食べ物を入れて 首に括りつけて 追い出すものだ
家出した猫は、あの世の遣いであるから、家に入れるものではない。単に追い出すことをせずに、食べ物を首に括り付けて出す。と云う事に先人方の心遣いを偲ぶ。

ムヌナイ ウスーラリティ 
幽霊に 抑えられて
かつては、パルヤドゥイと云って、畑の傍らに相応な小屋を建てて鍬や鎌等の野良道具等を保管していた。野良仕事で遅くなり、夜道を帰宅するのが困難になると、其処に寝泊まりしていた。夜中に悪夢にうなされたり、身動きが取れななくなると、ムヌナイウスーラリティと言い、よく聞く話であった。

ムヌナイ マヤーサリティ 
幽霊に 迷わされて
幽霊にかどわかされて、方向を失い、意図しない処に居るなどの物理的な現象を云う。それと共に、人倫を踏み外す行為をしたときなどに、ムヌナイマヤーサリティデール、と云うように、擁護の弁としても用いる。

ムヌヌヤー
幽霊の家
交通機関の発達していない当時は、道幅は狭く藪が多く、島内のいたるところに、幽霊が出ると云われている場所があった。

ムヌヌヤーヌパタカラ アイキュルバンヤ ウシウーティアイキボウ ヌルンクンネン
幽霊に家の傍から 歩くときには 牛を追って歩くと 怖くない
幽霊の出没する場所を通行する時には、牛を追いながら歩くと恐くない。

ムヌミチャルバーヤ ムヌユミュールムヌヤアランヌ サーヌプンカシュールムヌ
幽霊見たときには 話をしてはならない 知らないふりをする
誰かと伴って歩いている時に、幽霊に出会ったら、あれは幽霊ではないか、などと話をするものではない。知らないふりをする。そうしないと、かどわかされる。

ムヌヤキムシドゥミュウル
幽霊は肝でみる
幽霊は心の持ち方如何で現われてくる。「幽霊の正体を見たり、枯れ尾花」

ムヌヤ トゥークヤウピク キャークヤインク ミャーリュールムヌ
幽霊は 遠くは大きく 近くは小さく みえるもの
遠くにいる幽霊は大きく、近くにいる幽霊は小さく見えるものだ。小さいと遠くにいると思い、怖くないと油断するが、あにはからんや近くにいる。

ムヌンウヮーリタルバーヤ ウヮーヌヤーカティイジ ウヮーウーシュルムヌ
幽霊に追われたときには 豚小屋に行って 豚を起すものだ
動物は、幽霊から人を守ってくれると考えられていた。

ムヌンチャー ミーチャサイ チュールムヌヤアランヌ
幽霊を 見てみたいと いうものではない。
幽霊を見たいと欲すると、幽霊とはこういうものだといって、目の前に現われてくる。

ムヌンムタリュウルバンヤ プチクルカティ イシナガドゥルナガ イリュウルムヌ
幽霊に持ち上げられた時には 懐に 石や土などを 入れるものだ
理屈では、持ち上げられてからは、石や土を懐に入れることは出来ないが、少しでも身を重くして、持ち上げるのを困らせよう、と云う心情からであろう。ムヌを、見ることが出来づに恐ろしいが、人間と同じ存在として捉えている。

モイシャルピチュトゥ ユントゥシヌウンキヌヤーサルピチュヤ パカカティヤ ユタシクネン
亡くなった人と同じ年で 運気の弱い人は 墓には よくない。直訳。
亡くなった人と同じ年で、運気の弱い人は、墓まで送りに行くのはよくない。
葬送の日に、自分の干支が同じ場合は、火葬場までは、送りに行かない方がいい。とは、昨今でも言われていることである。

モイシャルピチュヌ ティムチトゥ パラジカティヌナサキ
亡くなった人の 手土産と 親戚への情け。が直訳である。
埋葬の時代には、棺の中にあの世への手土産として、これはあなたへ、これは先に亡くなった誰それへと言って、お酒や手拭、その他、生前の本人の好物の品を入れていた。相当な量になるときは減らしたりしたが、それでもプークニン(棺を担ぐ役の人)は苦労したという。

モイシャルピチュヌ ヘーハタミティアイキュルバン アタダシンウンクナリボウ ピチュヌタマシイヌイッチデール
亡くなった人の 棺を担いで歩いているとき 突然に重くなると 人の魂が入ったんだ
棺を担いでいて、急に重くなったときは、誰かの生き霊が乗り移ってきたのである。そのような時には、近いうちにまた人が亡くなる。

モイシャルピチュヤ シークンチンタナヤ アワリシュン
亡くなった人は 四十九日までは 苦労する
トゥクアギ(忌明け)までは、残された遺族は、助けとなるようにと、日々朝晩水や茶湯や線香を絶やさず、更に七日毎の節目には親戚も集まってトゥイムチ(供養)をする。特に、初七日までは、早朝仕事の前に墓参りをした。また、男は髭を剃らず、女は化粧を控えたと云う。

モイシーギサルピチュヌパタヤ ウイトゥギシリバドゥナイル
亡くなりそうになったら 夜通し見守っていなければならない

モイシーグトゥヤサカサマグトゥデール
亡くなり事は逆さま事だ
葬儀の作法は、日頃の生活とは作法が逆である。着物の左前合わせや逆手等。

モイシリボウ タマシイヤグショウカティ
亡くなったら 魂は後生へ

モイシャルピチュヌパタカローミャンカヤウイパレー
亡くなった人の傍からは猫は追い払え
亡くなった人の、尊厳を保つためである。かつては通夜には、亡き人を偲ぶのと同時に、遺体の尊厳を守ると云う、二面があった。

モイシャルピチュヤ ムイジュトゥユミュン
亡くなった人は思いを語る。
亡くなった人は、現世での思い出や、あの世の様子を語ってくれると云われており、四十九日のトゥクアギ(忌明け)の時にヤブ(霊能者)に語ってもらった。昭和の中頃までは行われていた。

や行

ヤブ
霊媒師。
近隣の島で云う「ユタ」と同義語である。
身内で病気に罹る者が出たり、夢見が悪かったり、日頃の生活に異変を感じたりした時には、先祖からのお告げがあると考え、ヤブに依頼して、お告げを受ける。日常生活の根底に存在している。

ヤシキヌナーナイ パナウイユルムナーアランヌ
敷地内に花を植えるものではない。
花には霊が宿ると考えられていたからである。パナチチェボウ、ヌチヌインチャサンを参照。
また、別に考えられるのは、当時はパナ(花)とは野の草花であり、庭に植えたらたちまち庭中に広がり手入れが大変であったからであろうか。
ハイビスカスは庭の隅に植えられ、ミジヌパチやニンキドウトゥの際に供えられていた。別名「トウトゥバナ」と言われる所以である。

ヤーチュクユルイミヤ ドゥーナーカラモイシュン
直訳すると、家を建てる夢は 自分たちから亡くなる。
家を建てる夢は身内から死人が出る。

ヤマトゥタビシリバ チキユディドゥマチュイ グショウヌタビシリバ ヌユディマチュンガ
大和旅をすると 月日を数えて待つ 死後の旅をすると 何を数えて待つのか。
旅行した人を待つには、月日を数えて待つことも出来るが、死へ旅立った人を待つには、どうしたらいいものか。どうしようもない。

ヤマトゥナガタビヤ ティヌグイヤクタヌ グショウヌナガタビドゥ ティヌグイヤクチュル
大和長旅には 手ぬぐいは朽ちない 後生の長旅だから 手ぬぐいは朽ちる
いくら長いあいだ旅行していても、手拭いは朽ちはしないが、死出の旅では手拭いは朽ちてしまう。
埋葬の時に、顔を手ぬぐいで覆うて縛る。アラヲゥガンの時分には手ぬぐいは、既に朽ちている。改葬で骨をきれいにした後に、ハタサー(頭蓋骨)の上に新しい手拭いを載せ、その上にキヌ(白衣)を置く。その後にマタヲゥガンをする頃には、やはり、手拭いやキヌ(白衣)は朽ちはてている。
ヲゥガンの度にティヌグイ(手ぬぐい)やキヌ(白衣)を新しくするのは、あの世でも、この世と同じような生活があると云う、想いからである。

ヤミンチュヌ マクラガイナンヤ ハマハタナウチキュウルムヌ
病人の 枕元には 鎌刀を置くものだ
病人の枕元に、刃物を置くのは魔除けの為である。刃は外に向けて置く。病院が立ち入院できるようになって廃れたが、近年まで残っていた。

ヤミンチュヌ マクラガイヌヤドゥヤ クーユルムヌ
病人の 枕元の雨戸は 閉めておくものだ
戸が開いていると、ムヌ(魔物)がマーブイ(霊魂)を取りに来るからである。

ヤミンチュヌヤーヌ ドゥンミチウトゥシリボウ ウマヌピチャーモイシュン
病人の家で ドンと音がすると その家の人は亡くなる
病人のいる家で、思いがけず原因不明の大きな音がすると、やがてその病人は亡くなる。

ユカバー モイシチウヮーチ
いい時期に お亡くなりになった
繁忙期や、酷暑台風襲来などの時期を除いて、落ち着いて弔う事の出来たときに使う言葉である。
また、戦時中空襲が激しさを増すと、年老いた親を背負って、洞穴や雑木の茂みを転々としていたので、その前に、弔いを出せたと云うことは、親戚一同に迷惑をかけずに済んだ。という偽らざる、子の心情の吐露であもる。ここに云う「時期」とは、家族の心の内をを言っているのでは、ない。あくまで外の世界の状況状態を云うのである。

ユビコイ
呼び声
危篤状態から、息が絶えると、病人を起して座らせて、大声でその人の名を呼ぶ。数回呼んでも答えない時にはじめて、亡くなったものとみなされた。

ユムヌヌ チナクイキチャイ キパダカティ ヤカラシューサー シンスカラヌシラシ
鼠が 縄を噛み切ったり 着物に乱暴するのは 先祖からの知らせ
ネズミが綱を噛みきる、、とは、昔の家は、棒や竹を綱で縛って建てられていた。米を収穫した後の藁は、とても貴重な資材であり、縫って綱にして至る処に使われていた。また、「着物に乱暴するのは」は、直訳である。着物を食い千切る、と云う事。箪笥の普及しない時代、衣類は畳んで然るべき処に置いてあった。
その時には、ヤブの所へ赴き、お告げを受ける。

ユムヌヌ トゥクヌパナクイヌジャイシュウサ ウヤカミヌムヌシラシ
鼠が 床の花をかじり取ったりするのは 先祖のおつげがある。
床の花は、お供えの花
上と同じで、その様な場合には、ヤブに宣託を受ける。

ユル チミキュルムヌヤアランヌ ウヤヌモイシュン
夜 爪を切るものではない 親が亡くなる
明かりの乏しかった時代に、手に怪我を負うことの戒めか。全国的に云われている。

ユルヤチュフイシ ピントウシュウサアランヌ
夜は一声で 返事をするものではない
一声呼び掛けるのは悪霊であり、人間は数回呼ぶ。
悪霊が呼んでいるかも知れず、うっかり返事をすると霊魂を持って行かれる。

ユルヤ ピューピュープキュルムヌヤ アランヌ
夜は 口笛を吹いては いけない
口笛を吹くと悪霊を呼ぶことになる。口笛につられて幽霊がやってくる。
明りの乏しかった時代に、夜の口笛の音は、うら寂しさを誘うものであった。今日でも暗闇で口笛を吹くと体験することである。


ら行

ルクガチヌマッピルモウ パルカラアイキュウルムヌヤ アランヌ
六月の真昼間は 畑に行っては ならない
旧暦の六月の昼間は、酷暑の時節である。無理を押して農作業をすると身体を壊す。この時期の昼間はムヌが出ると云って、外出を控えていた。


わ行

ヲゥナイガミ
姉妹神。が直訳である。
女性(姉妹)には、男性(兄弟)を守護する神が宿っているとされる。

ヲゥナグヤ トゥシグルナリボー パンジキチカシュールムヌ
女性は 年頃になると 刺青をするものだ
当時の年頃とは、15歳前後であっただろう。(童謡に、十五で姉ーやは嫁に行き云々)。
未婚女性の25歳の歳祝いは「ハマンタヨイ」と云って、嫁に行けぬ身の恥ずかしさを隠すと云う意味で、ハマンタ(大きな鍋の蓋のことで、山形に縄で編である)を被って祝うと言われている。
明治四年に刺青禁止令がでたが、しばらく行われていた。刺青で最も大事にしていたのは、左手首内側の「プトゥイヌミチ(仏の道)」であった。あの世への通行手形であると云う。

語 句 や 作 法 の 解 説

普段何気なく行っていたり、話している言葉の意味

一日に二度墓に行ってはいけない
古くは、ハンシャガユイと言って、死者との、愛別離苦の情から、葬った後に度々訪れて嘆き悲しんでいた。「墓」と云う言葉を使うようになって以降も、同様の行為をする者に対しての戒める言葉である。

北枕
釈尊入滅に際して、クシナガラの地で、生まれ故郷のルンビニーの方角である、北に頭を向けて西を向いて寝て(北頭西面)休んでいたので、釈尊にあやかろうと、死者を寝かしていた行為が、時代を経ていつしか、北枕=死のイメージが強くなり、日頃北枕で寝ることを忌み嫌うようになった。地球の自転や人の整体等を考えると、頭を北にして西に向いて寝るのは一番いい寝方だと、は、言われているが。全国的な風習である。、

死者に七度衣替えをする
「グショウヌジョウヤイチジョウ アミダジョーヤナナジョウ ウリアイティイリバ ウヤヌイメン」と云う、与論島の民謡がある。通夜から葬儀にかけて、七回着替えさせるのは、

ウプガミヌミジ
末期の水のことである。直訳すると、大きな甕の水、であるが、水の乏しかった時代にふんだんに水を飲んでもらおうという、心情からでた言葉である。往時は湯灌の時には実際に口を開けて飲んでもらっていた。

イペー、イペーワカシ
イペーとは位牌を云い、事情で先祖の位牌に合祀できない場合には、別途こしらえてお祀りする。この作法をイペーワカシという。

ウブク(御仏供)
ウブクは、三十三回忌までは、煮炊きした物をお供えし、三十三回忌を終えた後には、グシメー(洗米)をお供えする。

トゥブレー(葬儀)やトウトゥの吸い物椀には蓋をしない
物資の不足していた時代に吸い物椀が、島内に入り始めたころに、蓋も貴重な器の一つとして使用した。当時は大勢の人々を賄うだけの器はなく、サンキャやヨウニャ(ゆうな)の葉を器としていた。漸く商品が出回るようになっても蓋をすることまなく、たかる蝿を追い払うのが老人の役目となり、更に、ラップが出回るようになっても、わざわざ蓋を除いてラップで覆っていた。時代を重ねるうちにいつしか、トウトゥの椀には蓋をしないものだ、という風習が出来上がった。蓋をするようになるまでは、謂れが分かり自身納得しても、自分から先頭を切るわけにいかず、誰かが始めると従おう、ということで、今日見るようになるまでには相当な期間を要した。
つい最近の状況である。合理的にいかに習俗を改めるか、と云う事の難しさを知る出来事である。、

ミジヌパチ
直訳すると、水の初となる。
一番初めの物は新鮮であり、最初にお供えする。と云う思いからきている。元旦の若水汲みにも通じる。清らかな水(清水)のことである。「グショウニエールウヤヤ ヌガヨプシャムヌヤ ニジヌパチトゥ パナヌミユダ」あの世におられる親の欲しい物は、何かと云うと清らかな水に花の三本、と云う与論島の民謡がある。月命日をミジヌパチと、言い慣わしているのは、この辺りの事情からである。月命日に、水と花三本に茶湯それに相応の果物やお菓子を供えしてトゥイムチをする。水をお供えの象徴として、月命日をミジヌパチと称している。

線香を点して、柏手を打つ 
私たちは、先祖をはじめ、神仏に向き合う時に、香を点し柏手を打つ。線香を点すのは仏式、柏手を打つのは神式である。江戸時代から明治時代を経る時代の変動の中で、先人達の、神仏に対する信心の篤さ、向き合い方を見事に表した与論島独自の神仏融合を生きる作法である。

ミジヌパチマハイに竹の葉を入れること
清らかな水でお供え物を清める為の物。
所作は、竹の葉に水を浸してお供え物にまき散らして清める。

セイシンピカチ アギティ ウヮーリ
セイシンピカチ アギティ ウヮーリとは、大勢の集まりの中で、給仕係の「おかわりして沢山召し上がってください」と云う意味の言葉であるようだが詳細は不明である。意味は不明だが代々使っている言葉のひとつ。   

葬儀に際し門に塩、水をおくこと
墓まで行った人の為に置いてある。塩を身に向けて掛けて、水で手を清める。
プークニン(棺を担ぐ人)はシューチグチ(波打ち際)で手足を洗う。
以前は、墓参りの後に海岸に出て海水で手足を洗い家路についた。手足を清める為である。その時に、先ず、右手の掌を上に向け握り、親指で、人差し指の一節側を押して、勢いよく人差し指を伸ばすと、パチンと音がする(これを弾指と云う)。海水の表面でその所作をして、向こうに水を弾き飛ばす。これを三度してしてしてから、手足を洗う。使う処の海水を清める意味である。

パーティ
パーティとは、逆手のと。腕を捻って掌を、外に向けるを云う。通常とは反対の使い方。遺骨を渡すときなどに使う。

箸を立てるこ
枕飾りの山盛りのご飯に、箸を立てているのは、これが最後のご飯ですよ。と云う意味と、これは、あなた以外の誰の物でもありません。と云う意味。

玄関から出棺しないということ
ウムティ(上座)から、出棺する。玄関は人の出入りであり、カミサマは、上座から出入りする。

黒い傘を挿すこと
ティンウヤメー(天を敬う)と云って、太陽が当たらないように位牌に傘をさす。死は黄泉の国の世界の出来事になるからである。ヲゥガンの時に夜明け前に終えなければならない、と、言われていることに通じる。

着物のマブイを開ける  
死人を湯灌して体を清め、グショウジタク(死に装束を整える)の時に、左を手前にして着物を着けさせる。その際に、衣紋と背縫いの交わりから三寸ほど下辺りを一寸ほど切り開く。其処から魂は出入りすると云われているからである。ちなみに子どもの着物は開けられており普段にそのあたりを触れられると嫌がる。

味噌と塩を一つの小皿に盛る
枕飾りに、水、山盛りのご飯、その間に小皿一枚に味噌と塩を小盛にしておく。水は末期の水、ご飯は一合を焚き、全て残さずに茶碗に山盛りにする。小皿の味噌と塩は、副食の味付けの元であるからと云い、また、これで食事をしたとも伝わる。

サンシキ 
桟敷のことである。葬儀場や会館を利用る以前は、自宅で祝い事や葬儀を執り行っていた。その時の桟敷の設え方に違いがある。祝事はには、家の座敷と同じ高さにする。家の延長として使うからである。葬儀の時には、座敷より一段下げて組む。亡き人を敬い遺族に弔意を表す態度を示すのである。また、三十三回忌の時には、必要ではなくても、小さくても設える。これは、家に入りきれないほどの、大勢の人々でトゥイムチ(供養)しています。と、云う意味だと伝わる。

線香やロウソクを消すのに息を吹きかけて消さない
線香や蝋燭の火を消すのに、手を使ったり団扇を使うのは、神聖なものに穢れた物を触れさせないためである。

遺骨に触るのに手袋をすること
遺骨に敬意を表して向き合うために、身を慎しんでいるのである。直接手で触れることは遺骸を冒涜することである。