唯 我 独 尊
天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)、誤解されている仏教語の代表的なものの一つである。
釈尊は誕生するやいなや人の手をかりずに、東西南北に七歩づつ歩み、右手の人さし指を天に向け、左の手の人さし指で地を指し唱えたとされる言葉である。歩むたびに蓮の花が地中より涌きでたという。
中国より伝わった経典『長阿含経』の巻一には「天上天下に唯だ我のみ尊たり(天上天下唯我為尊)、必ず衆生の生老病死を度す(「為尊」は「独尊」とも伝わる。)」とあり、釈尊誕生の以前過去世の毘婆尸(ヴィバッシン)菩薩の言葉であるが、後になって釈尊が唱えたということになった。
スリランカをはじめ南方に伝わっている経典には「私は世界の第一である、私は世界の最勝である、私は世界の最上である。これは最後の生、もはや再生を取ることはない。」とある。
この詩句は、後世になり釈尊の偉大さを物語るものと理解し、現代では人間一人ひとりの人格の尊厳を表明したものであると解釈しているのが一般的である。しかし、この言葉は、絶対的な自信の吐露であり、崇高な人格者たりうると自覚している者のみが云い得る言葉である。この語句の後に「三界皆苦我当安之」と続く。傲慢と思うのは卑屈と傲慢を合わせ持つ凡夫のなせる業か。「私は尊い」のであり「私が尊い」のではない。人の話を素直に聞くことができたなら、その人が尊く思えてくる。