それ、仏法はるかにあらず
心中にしてすなわち近し。
真如外にあらず、身を棄てていずくにか求めん。

 『般若心経秘鍵』弘法大師 

 「迷悟われに在れば発心すればすなわち到る。明暗他にあらざれば信修すればたちまちに証す」と続く。
 仏教に少しでも興味を擁いている人であれば「仏教」「般若心経」「空」と、連想するほどに「般若心経」は数ある経典の中でも、広く一般に知れ渡っている。そこで、今日まで、数え切れないほどの解説書や入門書等が、世に出ている。それらはいずれも、それぞれの立場、視点を異にして著されているものの、大乗経典の初期にできたとされる「大般若経」六百巻を簡潔に纏めたものと見なされている。そこで解説書の類いもまたほとんどがこの立場に立って著わされている。唯一、弘法大師は密教経典としてみなし解説されたのが「般若心経秘鍵」である。それは、「般若心経」を密教的に解釈したということではなく、諸本が「悟り」に向かっているのに比し、大師は「悟り」の立場に在って著しているということである。意は、自心を見つめ知ることこそが仏法である。ということか。