仏 壇 に な ぜ 花 や 香 な ど を お 供 え す る の か



 仏壇を飾るのに花を供えローソクを点し線香を立て、ご飯や茶湯それに加えてお菓子や果物等をお供えするのが基本である。
 仏道の修行徳目に六波羅密(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智恵)をあげている。各々に花や香や明かりなどを配し、一々に思いを致し修行する。水(茶湯)は万物を分け隔てなく潤すので布施の徳。香で身を浄め清涼なるは戒を保ち身を慎むの徳。美しい花を目にすると私たちは心が和むように、何ごとにも柔軟に対処できる忍耐の徳に花を配する。香は精進不退転の徳、一度火をつけると消えることなくしかも同じ速さで燃えていくので精進(努力)に配する。香の立ち上る煙りを見て自らの懈怠を戒める。飯食が身体を保つように、禅定により身を長養するが故に相比する。灯明(ローソクの明かり)が暗闇を照らすように、智恵の光は無知を照らす。
 供養具の置き様は、中央に香炉(線香立て)、その両脇に燭台(ロ−ソク立て)を置き、さらに両外側に花瓶(花立て)を安置する。これを五具足という。略には三具足といって、中央に線香立て、向かって右にロ−ソク立て、左に花立てを置く。花は時花で刺のあるものや毒気のあるものは避ける。インドやスリランカでは花をお供えするのに、茎より切らずに花のみをもって模様を画き供えている。線香を供えるには宗派によって異なりをみる。我が真言宗では、三本を立てるのを基本とする。外に向かっては、一本は本尊はじめ三世十方の一切の諸仏菩薩、一本はご先祖の霊位、さらいもう一本は法界の有縁無縁の霊位のためである。うちに向いては、自分自身の身と口と心とを浄めるためである。事情で一本の時にはその一本に三本の意味を込めて立てる。
 余談。近ごろ煙りのでない線香があるが、香を供えるのは相応の意味が込められており、仏道修行のひとつであれば合理的な考え方で対処すべきではない。経典には精霊は香を食とし、供物の香りは煙りに乗って届けられるとあり、また天人は香を食とするともある。