まさに 人の世の 怨(うら)みは
怨みをもって報(むく)ゆるに 終(つい)には熄(や)まず
怨み心を越へてこそ 熄めこれ
古(いにしえ)より易(かわる)ることなき 法(まこと)なり

―法句経― 


 もうすでに六十年以上も経ってしまったが、第二次世界大戦の戦後処理問題で、戦勝各国が競って敗戦国の日本に対して補償請求を行った。その折に、ただひとりセイロン(現在のスリランカ)の外務大臣ジャヤワルナデ氏(後にスリランカの大統領となる)は、国連で釈尊のこのお言葉を引用して演説を行い、日本への賠償権を放棄し、世界各国に大きな衝撃を与えた。
 かつて、スリランカの寺院でお坊さんたちと修行を共にしていたころ、人々の日常生活の基盤に、お釈迦様のみ教えが滔々と流れていることに、深い感 銘を受けた。日暮れになると、どこからともなく子供たちが寄り集まって来て、お釈迦様の像の前に花や灯明を供えて、静かに手を合わせて佇んでいる。その真摯な姿、すがすがしい 顔だちは今だもって忘れることはできない。
 私たちは日ごろ相手を非難し責めることはあっても、自らを省みる事はめったにしない。立ち止まって我が身を振り返り、自分のありのままの姿に、気が付く事ができたならば、ほんの些細な出来事にも、幸せを感じ取れる心が開け、永遠の安らぎを得る事ができるだろう。
 「目には目を歯には歯をと言われていたことは、あなたがたのきいているところである。しかしわたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい(略)敵を愛し、迫害する者のために祈れ(略)天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。」『新約聖書マタイ伝』
 怨み心はひとの心の奥底に潜み、相手を傷つけるとともに、我が心をも蝕む両刃の刃である。人間としての未熟さを越えたところにこそ、怨み心を解決する手だてはあろう。お釈迦様は慈悲を説き、イエス様は愛と教える。

『法句経』:経典の中でも古く釈尊の直説を含み、私達の日常生活の中に起きる、さまざまな出来事に対する心の動きに、真理を照射して短い言葉で綴った経典である。